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2020年11月17日星期二

カン

 2020年11月17日 +1

人間になりたいです。

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あれから劇場公演を当たる度に手紙を出していた。チーム8の公演当たりやすかったから、月一通くらいのペースで書いたかな。AKBの悪口しか言ってこなかった気がするが、劇場公演は神だった。チーム8の「会いたかった」と「Partyが始まるよ」を何回観ていただろう。あの空間であの距離感であのセトリの公演で輝いてる推しメンを見れて最高だった。贅沢というならハイタッチが、

手紙を十通くらい書いたころ、サイン会があった。これで名前と顔と一致するチャンスだと同時に気づかれなかったらどうしようとドキドキ・ワクワクしていた。嬉しいすぎてあまり記憶がないけど、多分、多分ね、「わ、いつも手紙を書いてくれた方だ!名前なんと言うんですか?」的な、みたいな感じだったと思う!人生始めて「認知」された瞬間だった。まぁ、名前だけなんだけど。

さらに一ヶ月後くらいかな、全握があって、名前を覚えてもらったかなとドキドキ・ワクワクしていた。「リンさん!」、おや、誰やね?、私、名前二文字なんだけどね、「もう一文字読めないからリンさんと呼ぶね」、おやおや。中学の時一文字の名前を憧れていて、書いた小説の名前も「林」だったからめっちゃ嬉しかった!はい。うそです。でも好き、発音が、音がすき。そいえば、「リン」になる前のツイッターネームは何だったっけ。全く思い出せない。

これから、公演の見送りの時とかで「あ、リンさん」と小さい声で呼んでくれるようになって、それだけで満足だった。

2020年11月8日星期日

ポスター

 2020年11月5日 仕事
 2020年11月6日 RAINY RUN
 2020年11月7日 家出

何だが、落ち着いてきた

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そろそろオタクに突入するか。

2014年の総選挙、少し推しメンの力になろうかと思って人気メンバーの中国のファン達がよくやる「集资」という(直接投票できる方法がないファンの金を集めて投票を代行する行為)ものを試した。推しメン(大矢真那さん)あまりファンいないからめちゃくちゃ安い金額に制定したんだが、中国で大矢さん1推しのオタク私しかいないことがよくわかった。

30票か50票くらい投票したかな。大矢真那さんとそんなに話したいことないかなと思ってほかのメンバーの握手会券も取った。半々だったかな、多分、りょうは、玲奈、なこみく、りぃちゃん、菜摘。確かに話したいことそんなになかった。今からみたら「塩」のメンバー多かったな。

この総選挙の選挙ポスターだった。初めて推しメン(小栗有以さん)を気づいたのが。

完全なるロリコンだったな。年末になって生誕祭も握手会も行きたかったけど、帰国の飛行機も特に取ったから、人生始めて推しメンに手紙を書いた。13歳の女の子に手紙に書くのマジでキモい。何を書いたかな、誕生日おめでとう以外に。2通目以後は全部写真を撮って保存してるけど、キモっ、最初の2通はどんな気持ちだっただろう。

これをきっかけでだんだんチーム8にハマり出した。

今日久しぶりに中国ピンチケ界隈(存在しません)のメンツと酒飲んだけど、やはり全員クズだった。たまにもクズじゃない一般人と飲みたいな。まぁ、私もクズだからしようがないか。





2020年11月5日星期四

The Malt's

2020年11月4日 木曜日 

2020年11月5日 平日

「ド平日昼の無銭野外イベントみたいな気持ちだな」と、私ながらいい例えだと思った

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一年生のとき、入試希望者向けの説明会があって、「私定年になるまで最後の学生たちだから女の子がほしい」という先生の要望から(絶対違うと思うが記憶がそうだと言っています)、女子学生を勝ち取る戦略を色々出してみたが、女子は女子のいない研究室に入りたくないという結論に至った。

研究室があった情報センターはカードさえあればいつでも入れるんだったけど、赤門のあるキャンパスは確かに11時すぎると本郷通り側の出入り口は全部出れなくなる。1時前後研究室から家に帰るとき壁の上から出てくる学生をよく見かけた。

出身と同じ苗字の山西先生は何故か怖いイメージがあった。情報論の授業もめちゃくちゃ難しかった。ノット撮るのが間に合わなくて、無音カメラだと思って写真を撮ったら「かちゃ」と、先生はぱっと前列に座っていた私の目を見て「授業に影響するから写真撮らないでね」と、人生1焦ったかもしれない。

二年生の冬、修論に焦り始めて、毎日ビール飲みながら実験をしていた。この時期1番すきのはThe Malt'sプレミアムじゃない方がった。研究室の冷蔵庫の中でいつも溢れていた。クリスマスの日に、今日は別の酒飲んでみようかと思って一升瓶の日本酒を買って電気ケトルで熱燗にして1人で飲んでほろ酔いになって幸せ!と思いながら寝たら痛風になった。

ある日助教先生急に生徒さんの「ファション」に興味になって「みんなの服ブランドは」と。全員ユニクロだった。

銀杏の匂いそんなに嫌じゃなかった。

何故か金曜日の気分だ

2020年11月3日星期二

酔ってる

2020年10月31日 寿司

2020年11月01日 日曜日

2020年11月02日 冬

2020年11月03日 雨だと思ったが雨ではなかった

AKBヲタ時代の友人と久しぶりに会ったけどAKBの話は特に何もしなかった。共通の友人と知り合ったときまだ大学の入試の忙しかったのに今年も社会人になったって時間の流れが早いなと

悲しい時か嬉しい時か酔っている時は書きたいね、今日は嬉しくて悲しくて酔っている日だ。

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大学院のことはもう時系列で思い出せないから適当に書く。

先生は朝が苦手で研究室の会議がいつも午後だった、マジで助かった。

毎度年末のとき研究室で鍋パしていた。先輩たちと助教さんが色々準備してくれて美味しく頂いた。でも私が二年生だった時は後輩たちが準備した気がする。1年か0年とき先輩たちに食堂で1番美味しいものは何ですかって聞いたら「いや、美味しいものはない」と。鍋の締めのうどんはすごく美味しかった。

先輩たちの歓送会の時はお好み焼きの店に行っていた。行くの時先生は急に道を横断して学生のみんなびっくりしてどうしたらいいのかわからなくなった。研究室で「会」をする時先生と助教さんいつも50%くらいの金出してくれた。ありがとうございました。いま元気ですかな。

全く英語聞いてないから英語の授業取ろうかと思ったが、初めての授業の先生が「This is,this is,you know」って言っててマジかよと思ってやめた。

並列計算の授業は点数(?)取りやすいかなみんな取っていたけど本当に好きな人は1人もいなかった。私も授業中ほぼ寝てたけど、「全通」していた。クリスマスの日も授業あったけど、マジで行きたくないなと思って20分くらい遅刻して行ったら先生と私しかいない一対一の授業だった。マジでキツかった。

卒業式の時、安田講堂がいっぱいになったら入れないと知らなくてゆっくり行ったら入れなかった。テレビの実況見ててへぇと思ったら隣の女の子がいきなり泣き出して、へぇ女の子いるんだと思った。

女の子と言ったら、一時期よく体育館に行って水泳していた。普通(?)のところと違ってシャワーは更衣室の中ではなくてプールの隣にあった。女の子全然いないから、つい、シャワーする時パンツを脱いでしまった。30秒後、あ、やべぇと気がついて更衣室の中に逃げていた。

酔ってきて字がよく見えなくなってきた。今日ここまでにするか。

2020年10月30日星期五

摸摸猫头

 2020年10月29日 焼き肉

 2020年10月30日 金曜日

仕事行きたくないけど、もしかして、ちょっと楽しい?

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10月入学もできるけど、折角だから普通に4月にしようかと思って4月にした。すみません、うそだった。もう半年遊ぼうかと思った。しかし、何を遊んだのかは全く思い出せない。

アイドルだったのか?いや、SKE劇場2、3回行ったくらいかな。ゲームだったのか?艦これにハマってたけどそんなに時間使ってなかった気がする。なんだっただろう。合格してから入学まで半年以上あったのに。もしかして寝る?あ、「在宅」だった!日本にいて無限に時間あったのに、在宅だった。今で考えたら不思議でしようがない。毎日モバメとブログ翻訳して、雑誌をスキャンして中国のSNSにアップしていた。2CHとBBSで松井玲奈と松井珠理奈関連の「戦争」もいっぱいしていた。日本にいたのにね。握手会も1シングルで2回くらいのペースで行ったかもしれない。推しメン(大矢さん)は接触したことあるアイドルの中で1番「塩」だったからそんなにハマらなかった。金もあまりなかったし、親の金でアイドルと接触するのは多少抵抗があった。

そうだ!秋葉原よく行っていた。中古の生写真をいっぱい買っていた。ああああ、自分の誕生日プレゼントにこれを買った!

8000円で買ったと思うけど今はもう価値がゼロだろうな。懐かしすぎて泣いてくる。こんな安い(安くはない)ものを何回か見ていて誕生日の日でようやく買う決心をつけたとか可愛(キモ)すぎる。

AKB48 CAFEもういっぱい行っていた。コースター100枚以上あると思う。家から20分から歩いてAKB48 CAFEでコースターつきのドリンク買って中古ショップで生写真を漁ってANIMATOでグッズの見ててBOOKOFFで漫画とCDを買うというツアーを週に一回は必ずしていた

あの時の秋葉原まだ「AKB48」が溢れていたな。今はもう劇場以外は何もない。

2020年10月28日星期三

IZASA

 2020年10月28日 酒

「嫉妬」というのはこういう感情だったのか。甘い、酸っぱい。

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赤門前の本郷通りはほぼラーメン屋しかない。1番好きなの IZASAという鶏白湯ラーメンだった。特製つけ麺+隠しい味の辛めも夏の冷やしいラーメンも冬の辛味噌ラーメンも最高に美味しい。昼12時前後起きて研究室に行く前の一杯は何よりの癒やしだった。週4以上通ってた。3回くらい財布を忘れたことがある。引っ越しする前最後に行ったとき、初めて声出して「4年間ありがとうございました」って言った。恥ずかしかった。久しぶりに行きたい。

IZASAの定休日の昼飯はいつも悩んだ。刀削麺「姉妹」はよく行った。日曜日の刀削麺は500円の特価で、確かに中川先生が勧めてくれた。

月に一回くらい行きたいCOCO一番。

土日はいつも行列になってるFireHouseは平日よく行った。赤門近くでオシャレっぽい感じがある店はここしか知らないから友達が遊んできた時は必ず行った。最近でようやくメッチャクチャ有名店であることを知った。

やよい軒、サラダが死ぬほど不味い。

日高屋、深夜研究室から戻るときはここしか開いてなかった。チゲそばすき。

ベトナム料理(?)、グリーンカレーが美味い。

インドカレー屋、商店街の店と全く同じ味だった。

中央食堂、不味い。初めて行ったときトンカツセット食って吐いた。

銀杏メトロ食堂、中央食堂よりは美味かった。

浜そば、食べたことある油そばの中で1番すき、私もよく知らんAKB初期メンバーのサインがある

今日は焼き肉を食った。幸せ。 

2020年10月27日星期二

一路向北

 2020年10月27日 雨ではない

まだ学生だったら私も色々できたのにと羨ましいと思ったが、学生時代の自分を思い出して、ふん、そうでもないな。

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同居人が嫌なわけではなかったが大学院合格した後すぐ大学のすぐそばに引っ越しした。夜誰かがいるとなかなか寝られなくて大学の寮生活も楽しいながら地獄だった。高校の時は平気だったな。高校生は寝なくてもいいかもしれない。友人の引っ越し費用も親が出したはず。貧乏ながらしっかりしてるなと感心した。親に感心するな!

これは長い一人暮らし生活が始まった。もう誰かと一緒に生活するのが無理かなと今全裸でタイピング(死語?)しながら思った。

引っ越し先から研究室は徒歩5分くらい。週三くらいで研究室行ったかな。まだ入学もしていなかったのに。

研究室は修士0年:2人

私と京大卒くん、まぁまぁ変人。

修士1年3人:

南さん、長官さんと見た目が似てる。数学大好き。頭いい、変人。
高林さん、記憶が曖昧で多分一般人。
局さん、二年留学して後輩になった、研究室で唯一敬語で話す人、変人。

修士2年3人かな:

牛丸さん、医学関連の研究してた、しっかりしてるイメージだった。
角野さん、私みたいな一般人。
風間さん、記憶が曖昧で多分一般人。

博士4人:

子供持ってる女性1人、三年間一度もあったことがなかった。
まさか大学の先輩一人、私よりしっかりしすぎて同じ大学で申し訳ない。
変人の塊1人、年中足首出して、靴下入ったこと見たことない。月一回くらいの頻度で引っ越ししていた。頭いい、変人。
小宮山さん、お人好し。いっぱいお世話になりました。彼がいなかったら卒業できなかったかも。

助教1人:

荒井先生、御茶ノ水卒の三十後半の女性。研究室の男全員を見下してたイメージ。

教授1人:

中川先生、めちゃくちゃ優しい、もうすぐ定年だった。だから優しいかもしれない。会議のときほぼ寝ていたが、起きたら適切な意見をくれる。

数理情報専攻は基本本学の学生しかいなくて、みんな大学時代からの知り合いだった。留学生も私の年2人、前の年も後の年もゼロ0だった。完全にボツっと1人いて寂しかったかな。そうでもなかったかな。みんなともっと交流すればよかったなと今は思う。


2020年10月26日星期一

ドラマチック

 2020年10月26日 月曜日

眠い。

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家のすぐ隣にアニメによくある田舎の商店街がある。1番通ってたのは辛い担々麺の店だった。日本にきてから初めて「担々麺」という料理を知った。四川料理らしいが、四川に行った時見つからなかった。初めて日本人は麺、ご飯、餃子をセットで食べるのを知ったのもこの店だった。日本料理軽い低いから行ったら痩せるよと言われたのに。日本人は炭水化物の化物たちをセットにしているのよ!を全世界に伝えたい。辛くて美味しかった。ご飯をスープに混ざって、あ、幸せ。二番目に行ったは、なんだっただろう。絶対中華とかと思うけど思い出せない。三番目はCoCo壱番屋だったかな。またまた炭水化物の化物だった。あ、インドカレー屋もあった。ナンおかわりお願いします!ラッシーも美味しかった。

商店街の逆の方向に居酒屋っぽいやつがあった。友達がまだ学校で初めて自分一人で店探した時ドキドキしながら入った。こういう外からメニューがわからない店が怖かった。入ってもメニューを見つからないし、店員さんからもらえる気配も全くなかった。「すみません、メニューありますか?」と震えてる声で聞いたら、「ここ高いから飯を食べたいなら向こうの商店街の方がいいですよ。」と。あ、怖かった。二度と行かなかった。今考えたらこれも一種の優しさかもしれない。いや、やっぱりクソだ。

その隣にパチンコ屋があった。「行ってみない?」、「一度くらいやってみたいね」と二人とも1000円を握りしめて入った。私は30秒くらいで0円になったが、友人も2000円ちょいまで勝って「これは帰ろうか」と1000円をくれた。あとインスタートラーメンを何個もらったかな。次の日に閉店した、そのパチンコ屋。それ以来二度と行かなかった。

初詣は一人で隣のちっちゃな神社に行った。謎の演出(?)があって、無料の甘酒をもらった。不味かった。

商店街の夏祭りも一人で行った。小学生たちが走ってはしゃいだ。なんでこんな黒い女の子高校生になった瞬間で白くなれるんだろうと不思議に思った。だんごを食べった。不味かった。

商店街だったか、洗足池の方向だったかはよく覚えていないけど黒湯を銭湯があった。回数券かってよく行った。大田区は黒湯がいっぱいあるだそうだ。久しぶりに銭湯に行きたいな。

眠い。

2020年10月25日星期日

ATC

2020年10月25日 明日が月曜日

未読スルーより既読スルーの方が好きかもしれない。

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入試はいつだったっけ。まぁ、夏で間違いないでしょう。問題は情報系共通の数学3問+数理情報専攻向けの数学3問。問題もらった瞬間、「やべぇ、問題すらわからないの1問あるぞ」になった。3.5問の回答は何とか書いたけど、これはもう無理やなと諦めたあと面接の通知がきた。面接の時間は5分もなかった。しかも第一問は「本学に入りたい理由はなんですか?」。いや、東大やぞ、それ聞く?教授十人くらいいたけど特に意味ある問題なかったから藤井先生の方が怖かった。

合格してからすぐ握手会があって、推しメン(ここは大矢さんを指す)に報告したら、隣のレーンの斉藤真木子さんに「へぇ、東大の人もこんなTシャツ着てこんなことするんだ」と言われた。

Tシャツは確かにこれだった。今なら絶対買わないな。まだ認知とか対応とか全く知らない時期だった。逆に1番純粋でキモかったかな。AKB48-Taiwan Clubsから生誕祭などの劇場公演ダウンロードして中国の字幕作ってアップしたのもこの時期だった。暇だったから。後からわかった何だけと、こういうこと現場に行かない在宅が1番好きだ。会えないからなんかしらの方法で自分の愛情を表現したくて仕方がない。総選挙というのを通じてこの感情を金にした秋元さん流石だな。

天気予報の「月曜日」でしんどくなってきた。今日はここまで。


2020年10月24日星期六

WeChat

2020年10月24日 晴れだったそうだが、家出る時も夜だったからよくわからない。

「自」信なのに他人からもらいたいのは何なん?

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真剣に入試準備初めて、まず大学の講義を探し出して、復習しながら専門用語の日本語を調べた。つぎは早稲田の入試の過去問、十年分くらいかな、プリントしてやって、自分でチェックして訂正した。もしかして人生の中で1番真剣だったかもしれない。いや、高校の化学の方だったかな。いや、どうでもいい話だ。

早稲田合格してから名大行く気ゼロになった。SKEの劇場があるから出願しただけだったな。東工大は何故かほぼ本学学生しかいないA入試に選ばれて、今度こそ!と思ってまた藤井先生を志望した。前回のことあったし、早稲田の面接も研究計画しかきかれなかったから、それを一生懸命準備して、我ながら自信満々で面接に臨んだら、「大学では何を研究した」と無事二度目の死亡を達せした。

A入試落ちでもB入試参加できるか。東大の入試と同じ日だった。これが東工大の意地なのかと勝手に思ったけどたまたまだったらしい。東大の入試は早稲田と東工大と違って情報系の問題がなくて数学だけだった。これはこれでありがたい、日本語が全くいらないから。

しかし、一応情報系卒業した私にとってはそれは難問ばかりだった。東大の過去問は20年分くらいやったかな。数学系にいたころのクラスメートたちに1人1問のローテーション形式で毎日問い方教えてもたった。いや、感謝しないといけない人いっぱいいるな。これでよく友達と言える友達いないなと思うなのか。こちらはほぼ毎日チャット(死語?)してるから別にいいか

土曜日のお風呂行ってきます。

2020年10月23日星期五

Never Too Late

2020年10月23日 雨

人生精一杯の嘘「熱が出ました。休ませていただきます。」も言えなくなった世の中。

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 日本にきて、半年の間、何をしたのか全く思い出せない。何もしていなかったかもしれない。もともと「これを学びたい!」から日本にきたわけではないから、早稲田みないなFラン大学生でも適当に入ったらいいかなと。日本語学校のクラスメートたちも同じくらい目標と言える目標がなくて、先生たちも日本語しかわからない。

時間だけが、去っていく。14年4月くらいかな、ちょっと焦り始めた。何もしたくないけど、そろそろ何をやらないと行けないなと。卒論のときの同じだ。寝る前に部屋を掃除して「今日も何かをしていた!」と自分に言い聞かせて寝ていた。

正直に言うともうあまり覚えていないけど、酒井先生からのメールから力もらったと思う(照れ?)。大学院に出願する前に一応希望する先生にメールしないといけないという謎のルールがあって、日本語先生に教えてもらいながら何日かけてよくわからんメールを送ったらすぐ返信がきた


別に内容がどうかてはなくて、そもそも返信をくれた先生は酒井先生だけだった。ようやくメールを送って安心してたら、返事がきて慌てて日本語の先生にどうしようと聞いたことだけが何故か鮮明に覚えている。

試験合格して面接の準備してるとき何をやればいいか全くわからないくて、しょうがなくて酒井先生にメールしたらまさか本当に意見をくれてマジで泣いた。

まぁ、泣いてはいないかもしれないが、マジで泣いた。 

大学院は早稲田、名大、東工大、東大を出願した。早稲田の入試が1番はやくて、合格したらようやく何とか安心して、焦りなくなった。

酒井先生みたいな優しい人になりたいな。


2020年10月22日星期四

賛成カワイイ!

2020年10月22日 雨の予報だったけど、晴れ

ちょっびり嬉しかった。世の中全部私くらい単純の人だったらよかったのに。

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初めての握手会はいつだったっけって久しぶりにキャラアニログインしたらこれだった

クソか! ってしょうがなくて写真を掘ったらSKEの握手会だったな


喋りたいことをノードに書いて、行くの電車の中でもめっちゃ頑張って暗記した気がするとここまで書いてノードを探していたが見つかられなかった。恥ずかしすぎて捨てたかもしれない。まぁ、どうせ、「中国からきました。好きです」ってくらいしか言ってなかっただろう。マジで情報量ゼロ。マジでキモい。
日本語学校の授業終わった後クラスメートたちとよく美味しくもなく不味くもなく中華料理屋に行った。あ、でも一番すきのは牛すじカレー 小さなカレー家https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130404/13048031/
安くて美味しい。日本で食べたことあるカレーの中で一番美味しい。50円のサラダもマジ神。でも並ぶからそんなに行ってなかったな。けど好き。けど嫌い。



2020年10月21日星期三

JR東日本

 2020年10月21日 晴れ

自分の生活の記録とはいえ、どうしても楽しい部分を盛れるし、嫌だったことや他人によくないことを避ける。自分も全部忘れた時これを見たらこれを真実だと思ってしまうかなって昔書いたものを見て思った

これが歴史というものかしら。怖い怖い。

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特に日本にくる必要がなかったけど、早く地獄みたいな家から出たいから10月くらいかな新大久保の日本語学校に入学した。東工大に入った高校の同級生がそこでバイトしてたから何の準備もなくていきなりきた感じ。家も彼と一緒で、池上線の長原駅だった。日本語もうまくしゃべれない私にいろいろ助けてくれたなと思って今、久しぶりにGOTOEATしない?とメッセージした。いや、もっと感謝しろや。

毎日朝五反田で山手線を乗り換えしないといけなかった。マジで足が浮く、これが東京の電車が!と思ったが、池上線がクソだけだな。電車の話なると初めて新宿駅に行ったときのことを思い出す。行くときは大丈夫だったが、帰る時友達が書いてくれたメモにある「山手線」を一生懸命探していたがどうしても「京王線」、「小田急線」、「都営新宿線」、「都営大江戸線」、「丸ノ内線」、「JR東日本」しか見つかられない。「山手線」どこかよと二時間以上迷子になった記憶が。マジでなんで地下鉄はすべての路線名書いてるのにJRはJRだけなんだよ、クソか!とえらい怒った。

日本語学校は午前中だけ授業があって午後は休み。何を勉強したっけ。日本語能力試験は選択問題しかないし喋るも文章書くもないから、試験勉強しか能のなかった私にとってN2もN1も楽勝だった。先生に推しメン(ここは大矢真那さんを指す)のブログを見せてここのどういう意味ですか?といっばい聞いたけどほどんどの答えが「先生もわからない」だった。先生と推しメンのこと喋ったら「え?私も名古屋出身なんだけと、名古屋ブスしかいないのよ」的なこたを言わて、「確かに」思った。

クラスのみんなの全員アイドルかアニメがすきて真面目に勉強していた奴一人も、あ、いや、二人のお坊さんは真剣に勉強していた。お寺から金をもらって佛法を勉強にしてきたらしい。一人のお坊さんが冷蔵庫が買ったけど小さすぎて使えものにならなくて誰かいらないと言ったら根から貧乏人の私すぐ彼の家にいって持ち帰った。そう、冷蔵庫を持って電車に乗った。しかも駅から家まで15分からいの距離があって死ぬところだった。その冷蔵庫今でも使ってます。ありがとうございました。二人とも今元気ですかな。



家は2LDKだったかな彼は洋室で私は和室、これ

家にいるとき何したかな、PCゲームかな。何のために日本にきただろう感が半端なかった。実家でのニート生活とほぼ変わらなかったが、親がいない。

今日はここまでしようか。明日も晴れますように。

2020年10月20日星期二

卒業

高校卒業のときそれまでの人生(?)の自伝的の何かを書いた。高校卒業からもう11年が経ったからそれからの何かも書かなきゃなと思って。まぁ別に書かなくてもいいか。前回のタイトルが「Xggの18年」だったから、今回は何にしようかな

「キモオタに私はなる、なった」っていいかな

大学から書くべきだが、大学のことが書きたくないというか、書けないというか、どういう風に書けばいいかわからないというか、とりあえず置いとく

よくわからん四年間を過ぎてその後は大学院に行くか、留学しに行くか、そのまま就職するかを考える余裕もなく卒論に追い詰めた気がする。卒業を全身全霊で頑張ったというかそういうものではなく、単純に、何というか、勉強に飽きたけど、心の奥に卒業しないといけないというものが無理矢理私のお尻を押してギリギリ合格線を突破したようなものだった

もしかして卒業できないかもの不安とよっしゃ卒業できたの喜びと元彼女に振られた余韻で当時はそうね、こんな感じだった



100KGくらいはあるだろう。

卒業終わってまだ2が月あったかな、一応TOFELの試験参加して元彼女が交換留学してた東工大の修士出願したけど。TOFELは70何点でオンライン面接は特に準備してなくて、そのときアイドルの動画の字幕作ってたから、「これをコーパスにして自然言語処理やら機械学習やらでやったら面白くない」というのりで面接参加したら藤井先生(本名出すな)にいきなり「What's new?」って聞かれて無事死亡。

これは大学生活がおわりニート生活が始まった。もう研究とか無理かな、就職と考えたけど自分が博士になりたかった父が「折角だからカナダやアメリカに留学しに行こう」と言われたが、あそこの食べものが嫌いから留学するなら日本しか行きたくない3が月くらいのニート生活を経て日本にきた

親と一緒にいるニート生活より嫌な生活はない

毎日医学部の博士課程に進学した高校の同級生の大学の図書館に引きこもった。彼の授業終わったら一緒に水泳とかPCゲームとかしていた。死んだらお前の専用遺体でもなるかと言っていたが、なかなか死なないし、死んだら遺体をなんの手続きをしたら彼の病院に行けるんだろうな。

风暴要火

もう結婚が諦めたと言った彼もついこの前結婚できた。めでたしめでたし